最初の Rock & Roll ってどんな曲だろうと思って探したら▲こんな曲にたどりつきました。19世紀初頭の船乗り歌です。Rock & Roll は元々船の縦方向の揺れ(rocking)と横方向の揺れ(rolling)の意味だったそうですが、この曲では「Do my Johnny Boker, Come rock and roll me over (ジョニー・ボーカー、私のところに来て。私を揺らして)」と、ちょっとセクシャルな意味で使用されています。その後、Rock & Roll という言葉は、黒人霊歌では魂が揺れ動くの意味で使用されたり、揺れる、ダンスする、騒ぐ、性交するなど、様々な意味で使用されるようになりました。
ナイトクラブで歌っていたロイ・ブラウンのオリジナル曲です。この頃はまだジャンプ・ブルースと呼ばれていました。彼がファンだった ワイノニー・ハリス が街にやって来た時、この歌をハリスに歌ってほしいと申し出ましたが叶いませんでした。後日、別のブルース歌手セシル・ガントにこの曲を聴かせたところ、ガントはいきなりレコード会社の社長に電話、そのまま朝の4時に録音スタジオに連れていかれ、彼自身が歌ってレコード化することになったそうです。ビルボード R&Bチャートで13位。翌年、ハリスもこの歌の良さを認めてカバー曲を発売。チャート1位となりました▲。1954年には プレスリー もカバーしました▲。こちらはずいぶんアップテンポになっています。
1950年代に活躍したアメリカのミュージシャンであり、数多くの映画でも主演をつとめています。世界史上最も売れたソロアーティストの第1位に輝いている他、「キング・オブ・ロックンロール」とも称されます。
1956年はエルヴィス・プレスリーの年と言っていいと思います。この曲はプレスリーが初めてビルボードチャート1位を獲得した曲ですが、年間シングル販売数ランキングでも1位を獲得しました。
ビルボードチャートで11週連続1位、年間ランキングでも1位をなしとげました。hound dog は「女たらし」の意味。黒人女性歌手 Big Mama Thornton が 1952年に歌った同名の曲 ▲ (こちらもビルボードで7週連続1位)をベースにアレンジしたもの。
前出の「Hound Dog」と同時に、両面A面としてリリースされました。この曲がビルボードチャートの年間ランキング2位だそうです。
R&Bシングルチャートで最高2位を獲得したものの、年間ランキングでは60位。しかし、その後、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、プレスリー、ジミヘン、プリンス、布袋寅泰など多くのミュージシャンにカバーされました。宇宙船ボイジャー1号・2号に搭載された地球外生命体向けのレコードにもロックの代表曲として収録されました。映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でマーティがギター披露したことでも有名ですね。映画の中ではマーティがダンスパーティでこの曲を演奏し、それをマーヴィン・ベリーが、従兄弟のチャック・ベリーに電話で聞かせるシーンになっていました。マーヴィンの方は架空の人物だそうです。
1960年代~1970年代に活躍したイギリスのロックバンドです。メンバーは、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスンの4人。「ローリングストーンズ誌の選ぶ歴史上偉大なアーティスト」でも、「ウォールストリートジャーナルが算出する最も人気のあるロックバンド」でも堂々1位を獲得しています。
ビートルズのデビュー曲です。この頃はまだドラムがビート・ベストからリンゴ・スターに変わったばかりで、収録によっては、まだリンゴのドラムは下手だという理由で、アンディ・ホワイトがドラムを叩き、リンゴはタンバリンを叩いている盤もあるそうです。
「Love Me Do」のB面。個人的にビートルズの中で一番好きな曲なので、入れちゃいます。
ビートルズ2枚目のシングル曲。カモン、カモン♪ カモン、カモン♪ ってとこがいいですよね♪
アルバム収録曲。元々は 1961年に Top Notes がリリースした曲 ▲ をアレンジしてカバーしたものだそうです。Top Notes の動画には、一緒に練習しているビートルズの写真もあります。
ビートルズ6枚目のシングル。予約だけで100万枚以上売れ、この年の4月4日には、ビルボードランキングの 1~5位をすべて、ビートルズが独占したそうです。
ビートルズ7枚目のシングル。これも好きだなー。ビートルズの映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」のテーマ曲。当時の邦題も映画に合わせて「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」という曲名でした。
「ヘルプ!」からわずか2週間後に発売されたアルバム「4人はアイドル」の収録曲。1,000を超えるカバー曲があり、「世界で最も多くカバーされた曲」としてギネスに登録されています。
ビートルズ18枚目のシングル。ジョン・レノンがオノ・ヨーコと不倫の恋仲になり、当時の妻のシンシアと険悪になっていた頃、レノンとシンシアの息子ジュリアン(5歳)を励ますためにポール・マッカートニーが作った曲ともいわれています(他説あり)。
ビートルズ11枚目のアルバム「ザ・ビートルズ」に収録された曲です。市場で働くディズモンドとバンドで歌うモリーが恋に落ち、結婚して、2人の子供に囲まれる様をリズミカルに歌っています。タイトルの「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」はポールがよく通っていたクラブのコンガ奏者ジミー・スコットがよく口にしていた言葉で「人生は続く(life goes on)」という意味らしいのですが、語源が分からず、スコットの造語かもしれないとのこと。歌詞の最後ではモリーが市場で働き、ディズモンドが歌っています。これは、収録の際にポールが間違えてしまったものを、面白いからとそのまま採用したものだとか。
ビートルズ13枚目のシングル。ポールが子供向けに思いついた曲だとか。めずらしくリンゴ・スターがメインボーカルを務めています。2年後のビートルズが主人公のアニメ映画「イエロー・サブマリン」のテーマ曲にもなりました。日本では金沢明子が「イエロー・サブマリン音頭」として歌ってます▲。が、1月10日ジョージ・ハリスンの脱退宣言事件、9月20日ジョン・レノンの脱退宣言など、音楽性の違い、ポール主導に対する不満などを理由として、メンバー間の不仲が問題となってきました。
ビートルズ19枚目のシングル。元々のタイトルは「(Don't Dig) No Pakistanis(パキスタン人は要らない)」。当時、政治的に海外からの移民を排除する動きがあり、それに反対するポールが逆説的に作詞したもの。ただし、誤解される恐れがあるとして「ゲット・バック」に変わりました。また、歌詞に登場する「Get back Jojo」の「ジョジョ」とは、オノ・ヨーコに入れ込んでビートルズの活動を控え始めたジョン・レノンのことを歌ったものだとか、オノ・ヨーコに向けられたものだとか、いろいろな解釈があるようです。
ザ・ベンチャーズは、1952年にドン・ウィルソンとボブ・ボーグルらが結成したアメリカのインストゥルメンタルバンドです。1933年生まれのドン・ウィルソンこと「ドンさん」は2020年現在87歳。2015年を最後にツアーには同行することはなくなりましたが、現在でもレコーディングなどには参加しているとのこと。ベンチャーズは米国よりもむしろ日本での人気が高く、何度も来日している他、ベンチャーズ自体も日本を意識した楽曲を手掛けています。欧陽菲菲の「雨の御堂筋 ▲」、渚ゆう子の「京都の恋 ▲」や「京都慕情 ▲」、和泉雅子と山内賢の「二人の銀座 ▲」なども、実はベンチャーズが作曲しています。
1960年にリリースしたこの曲は、元々は Johnny Smith が 1955年に作成した曲 ▲ がベースです。さらに、その曲も、1928年に作曲された「Softly, as in a Morning Sunrise」というジャズのスタンダード曲 ▲ をベースにしているとのこと。
ここでベンチャーズを挟みます。ドゥクドゥクドゥクドゥクドゥン♪ の出だしが心地よいですね♪ 1963年に The Chantays がリリースした曲 ▲ を、ベンチャーズがカバーしてアルバムに収録したもの。日本で特に人気があり、シングルカットされているのですが、英米ではシングルカットされていないようです。しかし、多くのアーティストがカバーしています。
フランク・シナトラは1940年から1960年代にかけて活躍した歌手・俳優です。1954年「地上より永遠に」でアカデミー助演男優賞を得た他50本を超える映画に出演し、多くのヒット曲を生み出しました。
1962年にデビューしたイギリスのロックバンドです。ボーカルはミック・ジャガー。Rolling Stones のバンド名は、1950年にマディ・ウォーターズがリリースしたアルバムの中に収録されていた「Rollin' Stone」という曲名▲ から。「ローリング・ストーン」は「転がる石」とか「住所不定者」「風来坊」などの意味があります。Muddy と Stones のセッションなんか、いいですよね▲。1967年に米国で創刊した「ローリング・ストーン誌」も、同じくマディの「Rollin' Stone」からとったものだとか。ミック・ジャガーは70歳を超えてもまだまだ元気で、今年(2020年)は8年ぶりに新曲も出すそうです。
ローリング・ストーンズの「サティスファクション」と同じ月に、ボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をリリースしました。伝説といってもよい曲ですね。曲名は「転がる石(宿無し)のように」の意味です。優雅な生活から一転して宿無しになった女性に対して「どんな気分なんだい?」と、6分間もの間歌い続けます。「ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング▲」では、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が 1位、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」が 2位を占めています。ローリング・ストーンズが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をカバーしてるのも面白い♪▲
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの2人によるデュオグループ。透明感のある歌声がとても綺麗です。この二人の歌声はほんと、いいですねー。普段はコンサートなんてほとんど行かないのですが、サイモン&ガーファンクルが再結成して来日した時は広島から東京ドームまで見に行きました。
サイモン&ガーファンクルによる初のアルバム、1964年の「水曜の朝、午前3時」に収録されていた曲ですが、アルバムは3,000枚しか売れなかったとか。その後、この中に収録されていたこの曲をアレンジしてシングルリリースしたところ大ヒット。1966年1月にはヒットチャート1位に。また、1967年にダスティン・ホフマンが結婚式で彼女をさらう映画「卒業」のテーマ曲として採用されました。
サイモン&ガーファンクルのアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に収録されたもの。元々は17~18世紀頃のイギリスの古い歌がベース。この曲も、ダスティン・ホフマンの映画「卒業」で、挿入歌として使用されました。
映画「卒業」のサウンドトラックに収録されたいたもので、後にシングルカットされました。「ミセス・ロビンソン」は「卒業」でダスティン・ホフマン演じるベンジャミンを誘惑する、魅惑のミセスです。歌詞の中に「ジョー・ディマジオはどこに行ってしまったんだ?」という節がありますが、ガーファンクルの日本公演の際には「王貞治」に変えて歌ったこともあるとか。
サイモン&ガーファンクルのシングル。故郷を飛び出し都会にでてきたものの、仕事も金も無い境遇の中で闘うボクサーが立ち上がらざるをえない様を、静かながらも力強く歌っています。聞き入っちゃうと、本当にいい歌なんですよね。彼が本当にボクサーなのか、都会で孤独に戦う様をボクサーに見立てたのかはよくわかりません。ライ・ラ・ライ、ライ・ラ・・・の歌詞は、横たわる(lay)や嘘(lie)の意味があるともいわれましたが、サイモンによると特に意味は無いそうです。
ジミ・ヘンドリクス2枚目のシングル。パープル・ヘイズは「紫のけむり」。LSD の俗称でもあります。1960年代の "代表的なサイケデリックドラッグソング" と呼ばれます。ジミ・ヘンドリクス (通称:ジミヘン)はアメリカ生まれ。左利きながら右利き用ギターを演奏したり(本当は右利き説もあり)、ギターを歯で演奏したり▲(1:30あたり)、ステージでギターを燃やしたり壊したり▲(1:05あたり)など、派手なパフォーマンスでも有名です。坂本冬美が、RCサクセションの忌野清志郎、Y.M.O.の細野晴臣と歌う「パープルヘイズ音頭▲」も好きです♪
レッド・ツェッペリンは1968年に結成したイギリスのロックバンド。時期は微妙に異なるものの、三大ギタリストと称されるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの3人が所属していた The Yardbirds ▲ の後継バンドとして、ジミー・ペイジを中心に結成されたバンドです。名前の由来は「go down like a lead balloon(鉛の風船のように落ちる=失敗する)」の慣用句から、lead を発音通りに led とし、balloon を Zeppelin型飛行船から Zeppelin にしたものだとか。
レッド・ツェッペリンの2枚目のアルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」に収録された曲です。
エルトン・ジョンは1969年デビューの眼鏡が特徴的なイングランド出身のシンガー。バディ・ホリー▲に憧れて黒縁眼鏡をかけていたら本当に視力が落ちてしまったとか、ホテルに眼鏡用の部屋を用意させたとかの逸話があります。同性愛者であることを公表していて、2005年にはカナダの映画監督(♂)と結婚しています。下記、人気曲を紹介しますが、個人的には「Nikita(1986年)▲」の PV に出てくる女優さんが好きです。
兄:リチャード・カーペンターと、妹:カレン・カーペンターの兄妹によるデュオ。日本でのレコード売り上げ枚数はビートルズに続いて2位だそうです。
1963年にリチャード・チェンバレンが歌っていたのをカーペンターズがカバーし、カーペンターズの最初のヒット曲となったものです。
子供向けテレビ番組「セサミストリート」の挿入歌として歌われていたものをカーペンターズがシングルリリースしたもの。後半には子供たちによる歌唱が加えられています。
ビートルズ解散後にジョン・レノンがリリースしたシングルです。「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500▲」で3位にランキングしています。1番は「想像してごらん、天国の無い世界を」、2番は「想像してごらん、国なんて無い世界を」で始まるこの歌は、宗教や国の違いによって発生する戦争を嘆き、世界の平野を祈る歌とされていますが、「no Heaven(天国の無い)」や「no religion(宗教の無い)」の歌詞がキリスト教で嫌われることが多く、イギリスでは葬儀の際に使用することが禁止されたり、一部歌詞を変えて歌われることもあるそうです。
ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックと並んで世界三大ギタリストと称されるエリック・クラプトン。「スローハンド」の異名を持ちます。高度なギターテクでどんなに早い演奏でも指はゆっくりに見えるとか、余りに速すぎて逆にゆっくりに見えるとか、こだわりすぎて弦の張替えが遅いからだとかいろいろ言われますが、ヤードバードの時代にコンサート中に切れた弦をステージで張り替えている間、観客から、サッカーの試合で見られるようなゆっくりとした手拍子(スローハンドクラップ)があったことから「エリック・スローハンド・クラップトン」と呼ばれたのがはじまりだそうです。
「レイラ」は、クラプトンが、親友ジョージ・ハリスン(ビートルズ)の妻パティ・ボイドに恋をしてしまい、彼女を想って作った曲だとか。その後、パティはハリスンと離婚してクラプトンの妻になります(離婚しちゃいますが)。イントロのリフがすげぇかっこいいです。
この曲も、パティ・ボイドのために作った曲だそうです。1971年のアルバム「スローハンド」に収録されています。この曲の後、1979年にパティとクラプトンは結婚しています。
ディープ・パープルは、レッド・ツェッペリンと並んで称されるイギリスのハードロックバンド。バンド名のパープルってドラッグ系の言葉かと思えば、初期メンバーのブラックモアの祖母が好きだった、ピーター・デロースのピアノ曲(1934年)▲、およびそれに歌詞をつけてヒットした曲「Deep Purple▲ ▲ ▲」からとったものだとか。サウンドはラウドですよねー。屋内コンサートにおいて「世界で最も大音響のバンド」としてギネスに登録されているそうです。
俺の車・彼女ばぶっちぎりだぜっ、俺はハイウェイ・スターだぜって感じの曲。次に出てくる火事事件の時に収録された曲だそうです。ディープ・パープル、好きかもなぁ~。
タイトルは「湖の上の煙」。ディープ・パープルがスイスのモントルーのレマン湖近くのカジノで、ローリング・ストーンズも使用していた移動式スタジオを用いてレコーディングを予定していたのですが、同じ場所でフランク・ザッパ&マザーズのコンサートがあり、興奮した観客が放った照明弾でカジノを火事で丸焼けにしてしまいました。やむなく別の場所に移動して録音を始めるも、大音量すぎて警察が出動する事態に。再度場所を変えて、空きホテルの廊下でレコーディングを行いました。この曲は、その時のことをそのまま歌ったもの。ルポタージュソングですね。やっぱり、ディープ・パープル、好きだな。
未熟児として生まれた際の後遺症で視覚異常(全盲ではない)を抱えたスティービー・ワンダー。11歳から音楽の道に入り、12歳の時の20分間の演奏(1962年)が翌年アルバム化され、まさかのビルボード1位に▲。 その後、ずっと売れ続けた訳ではないけど1970年代前半はグラミー賞の常連になりました。
自信の娘アイシャの誕生祝に作成したのがこの曲。4:30以降にアイシャの声も挿入されています。親バカ以外の何者でもない曲ですが、いい曲です。
アメリカのシンガーソングライターです。1970年代からヒットを連発し、今でも活躍中です。エルトン・ジョンは眼鏡がよく分かりますが、ビリー・ジョエルが髪型がよく変わります。
1971年の初のアルバムは不作でしたが、しばらくクラブまわりをした後、1973年に再デビューしてヒットさせたのがこの曲。バーにやってくる様々な客の前で歌うピアノマンを演じています。歌詞に出てくるウェイトレスは最初の妻エリザベス・ウェーバーがモデルだとか。
アルバム「ストレンジャー」に収録されていたのをシングル化したもの。タイトルは「君のそのままがいいんだ」って感じでしょうか。もう、べったべったのラブソングですね。当時の妻エリザベスに捧げた曲だそうです。
1977年の同名アルバムに収録されていた曲ですが、日本、ニュージーランド、オランダ、オーストラリアでのみシングルとしてリリースされました。特に日本で人気のでた曲です。
米ビルボードで最高3位の中ヒット。こちらは、日本ではオリコン37位とあまり流行りませんでしたが、私の中では好きな曲です。
1971年結成のイギリスのロックバンドです。フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人。1991年にリード・ボーカルのフレディ・マーキュリーは45歳で亡くなってしまいましたが、彼に焦点をあてた映画「ボヘミアン・ラプソディ(2018年)」が上映されて流行りましたね。
1975年にリリースされた「ボヘミアン・ラプソディ」はクイーンの代表曲ですね。アカペラ、バラード、オペラ、ハードロックの入り混じる、なんともインパクトのある曲です。ママ~♪ガリレオ~♪
1番は少年、2番は若者、3番は老人、いずれもくすぶっている三者に対して「We will we will rock you」と鼓舞します。「rock you」ってなんて訳すんでしょうね。「揺さぶってやる」、「ノらせてやる」、「殻を叩き割ってやる」など、いろいろ訳されているようです。私だったら「熱くしてやる」って訳すかな。
曲自体は「Bohemian Rhapsody」よりも先につくられていましたが、フレディ・マーキュリーが「リリースするにはまだ早い」と判断し、「We Will Rock You」と両A面のシングルとして1977年にリリースされました。
「僕の自転車に乗りたい」がひたすら繰り返される他、歌詞の中にスターウォーズやジョーズも出てきます。Official Video には65人もの全裸の女性が自転車レースで走るシーンが含まれているため、YouTube では年齢制限がかけられているようです。
4枚目のアルバム「地獄の軍団」に収録されていたもの。コンサート会場に向かう途中で交通事故で死亡した実在のファンを歌ったもので、コンサートのオープニングナンバーとして演奏されていました。
ABBAはスウェーデンの4人組ポップグループです。ABBA は彼らの名前の1文字ずつをとったもの。ロゴでは、ABBA の最初の B は左右逆向きで表現されることがあります。1974年~1982年頃まで世界のディスコミュージックで最も成功したアーティストとなりました。
英国、オーストラリア、ドイツ、スイス、アイルランドなどで1位を獲得しました。2008年にイギリス、ドイツ、アメリカ合作の映画「マンマ・ミーア!」のテーマ曲となり再ヒットしました。
イギリスで6週連続1位の他、世界13か国1位を獲得するなど大ヒットしました。韓国ドラマ「冬のソナタ」の第1話でチェ・ジウ演じるユジンが放送室の中でこの曲をかけ、ひとりで踊っていたのが印象的でした。日本では著作権の関係で差し替えられているらしいのですが、Hulu かなにかで見たのかな...
「金、金、金」って曲です。「金持ちの男をつかまえられたら、カジノで大金を稼げたら、金持ちの世界よ~」って感じの歌詞です。これも ABBA の代表曲のひとつ。
1971年にデビューしたアメリカのロックバンドです。代表曲「ホテル・カリフォルニア」の他、「テイク・イット・イージー(1972年)▲」、「ならず者(1973年)▲」、「呪われた夜(1975年)▲」などの曲があります。
とても意味深で怖い歌詞です。コリタスの香りの中、ホテル・カリフォルニアにたどり着きます。幾日か過ごすホテルはとても快適ですが、ワインを頼むと「1969年以降そんなスピリット(酒・魂)は置いていない」と言われます。女の子は「ここは私たちの場所だけど、私たちはここに囚われている」と言います。恐怖を感じて外に出ようとしますが、「あたなはいつでもチェックアウトすることができます。ここを去ることはできませんが。」と言われます。コリタスはクスリの意味があり、クスリから抜け出せないことを歌ったとか、1969年以降商業化してしまったロックの魂を嘆いたとか、いろいろ解釈されているそうです。
ジャクソン5としてデビューし、ソロとしても最高の活躍をしました。ギネス世界記録からも「人類史上最も成功したエンターテイナー」として賞されています.
アルバム「Thriller」からのセカンドシングル。マイケル最大のヒット曲。1983年の「モータウン25年記念コンサート」でマイケルがこの曲を歌った際に「ムーンウォーク」を初披露しました。
アルバム「Thriller」からの第3段シングル。なんか、一番マイケルっぽいなと感じてて好きな曲です。ギターソロはヴァン・ヘイレンが参加してます。
アルバム「Thriller」からの第7段シングル。マイケルが大ブレークしたきっかけにもなりました。マイケルが狼男に変身する PV も有名になりました。監督は「ブルース・ブラザーズ」や「星の王子ニューヨークへ行く」などを手がけたジョン・ランディス。特殊メイクは「エクソシスト」、「2001年宇宙の旅」、「スター・ウォーズ」などにも参加したリック・ベイカー。「Billie Jean」、「Beat It」、「Thriller」が同じアルバムに収められていたなんて、すごいっすよね。
1985年に警官によって射殺された17歳の黒人少年エドモンド・ベリーを題材に作られた曲です。監督は「タクシードライバー」などを手がけたマーティン・スコセッシ。
アルバム「Bad」に収録された第7段シングル。この曲のパフォーマンスの中で「ムーンウォーク」に次いで知名度の高い「ゼロ・グラビティ」が疲労されました。ただ、初披露の1988年時点ではまだワイヤーを使用したもので、1992年になってから特許(米国特許番号5255452)にもなっている靴底のひっかけによるゼロ・グラビティ」が披露されました。
1991年リリース。PV には「ホーム・アローン」のマコーレー・カルキン君が登場しています。監督は「スリラー」と同じジョン・ランディス。大好きな彼女に対して「黒人か白人なんてどうでもいいんだ」と歌います。ただ、この頃からマイケルの肌は白くなっていきます。白人に憧れて白人になるための整形を繰り返しているとも言われましたが、白くなったのは尋常性白斑という後天性の皮膚病により色素が抜け落ちたのが主要因とされています。マイケルの長男も同じ病気に悩まされているとか。ただ、肌色の変化に加えて整形も行ってたのは事実。整形が始まったのは1979年のステージで鼻の骨折を治療しはじめた時から。幼少期に父に鼻の大きさを揶揄された頃のトラウマ鼻を整形、しかし、治療ミスにより呼吸が難しい状態になり、その後、何度も整形を繰り返すようになっていったようです。見た目は正直1983年頃の方が好きですが、まぁ、それでも、マイケルはマイケル。すみません。長文になりました。